2024年 3月28日(木)
作成日:2021-02-21

東京で安アパートを探す ~3万円以下の物件探し~

東京のイメージ画像

東京で暮らしていたころ、職場などで住んでいる物件の話題になると "鉄板" と言えるほど食いつかれる話があります。

それは、当時暮らしていたアパートに関する話題です。

山手線へ10数分ほどで乗り換えられる場所にある物件にも関わらず、家賃が2万円代。
平成・令和の時代でも『神田川』の歌詞を地で行く環境で生活をしていました。

今回は、地方出身者の私がどのようにして安い賃貸物件を探し、契約まで漕ぎ着けたかについてお話します。

はじめに

就職氷河期真っ只中の地方。
大卒でも希望する職には就けず、周りは安定した公務員を目指す学生ばかり。

大学卒業間近の私は、このような環境を嫌い、いち早く県外へ就職しました。

それから3年ほど西日本を転々としながら、ある分野の技術を東京で身に着けようと資金を貯めていました。

資金の目途が立ち「いざ上京」と意気込んだ矢先、住む場所をどのように確保するか悩みました。

首都圏内に親戚や知人がいるわけではないため、賃貸物件に関する情報収集には苦労しました。

物件情報をどのようにして入手したか

当時のインターネット事情

雑誌のイメージ画像

地元である沖縄に戻り、上京に向けてどのように情報を集めるか試行錯誤の日々。

今から20年ほど前。
賃貸物件を探す場合は、書店で売られている情報誌から入手するのが一般的でした。

しかし、県外しかも東京となるとそのような情報誌はありません。

情報誌を発行している地元の出版社に電話し、東京の物件情報が得られないか相談したこともありました。
(当然「分からない」と言われ相手にしてもらえませんでした。)

また、出稼ぎの情報がある職業安定所であれば住む環境についての情報も得られるのではないかと期待し足を運んだこともありました。

今でこそ物件情報は手軽にインターネットから入手できますが、当時はインターネットが利用できる場所を探すにも苦労する状況でした。

地元では人口が集中する都市部でしかインターネットが普及しておらず、自宅にその環境があることがまだ珍しい時代でした。

そのため、一般者が気軽に利用できる場所は "インターネットカフェ" ぐらいなものでした。

そのインターネットカフェを利用するため都市部へ遠出しなければならず、物件情報を得るため通い続けました。

具体的な地域の絞り込み

インターネットカフェのイメージ画像

アナログ世代である私は「インターネットによる情報が本当に正しいものなのか」と疑っていたため、ネット検索による情報収集は最後の手段でした。

当時の私が持っていた東京に対するイメージは「家賃や物価が高い」というものであり、テレビで見た程度の知識しかありませんでした。

ただ、バラエティー番組で見た "売れない芸人が住む街" の名前が印象に残っており「売れない芸人」→「低収入」→「安い物件がある」という発想でその街を中心に探しました。

今ほど物件検索サイトが充実していない時代、本当に実在するのか怪しい不動産業者が掲載している情報を頼りに収集を始めました。

ちなみに、私は家賃の上限を3万円と決めていました。
これは、バイトの時間より技術習得のための時間を確保するため、出費をなるべく抑えるために考えた金額です。

無知であったとはいえ、今思えば無謀な家賃設定だったと我ながら感心しています。

山手線の内側や沿線付近には目的の物件はなく、山手線から離れるほど家賃が安くなることが検索していて見えてきました。

極端に遠い地域の物件情報は保険として確保しつつ、前述の "売れない芸人が住む街" を軸に20件ほどの物件情報をリストアップ。

その後、リュックサックと寝袋を携えて東京へ赴くのでした。

物件を契約するまでの経緯

1件目:怪しい不動産屋

怪しい不動産屋のイメージ画像

到着した駅から10分ほど歩いた線路沿いにある、例の芸人が住む街の物件を扱う不動産屋。

扉を開けるも誰もいない店内。
声をかけると奥から返事があり、店主が登場。

50代ぐらいの恰幅の良い男性。
ダブルのスーツに金色の腕時計。愛想の良い笑顔をしているがどこか威圧的な感じが漂っていました。

その店主に「インターネットに掲載されている物件を見て来た」と説明。
その物件の有無を聞いたところ「その物件はもうない」と答え、別の物件を勧めてきました。

そこで私が間髪入れず「3万円以下の物件は他にないか」と尋ねたところ、表情が一変。
笑顔だった表情が真顔になり、「そんな物件、都内にないよ」と一蹴。

それから無言で奥へ下がっていきました。

店内に足を踏み入れてから数分の出来事。
はるばる東京へ赴いて1件目。何も成果が得られないまま不動産屋を後にしました。

後に知ったことですが、インターネットに掲載されていた物件情報は『釣り広告(おとり広告)』というもので、客の興味を引く架空の情報を掲載し店舗へ足を運ばせる手口です。

事前に20件ほど物件の目星を付けてきましたが「すべて無駄に終わったらどうするか」「何日滞在できるか」と1件目から不安になったことを鮮明に憶えています

2件目:偶然見つけた不動産屋

不動産屋の貼り紙のイメージ画像

先の不動産屋では徒労に終わり、駅へ戻る道すがら「行きとは別のルートで帰ろう」と薄暗い線路沿いの通りを歩きました。

リストにある次の物件のことを考えながら駅へ向かっていると、日焼けし年季の入った貼り紙がガラス越しに貼られた不動産屋が目に留まりました。

貼り紙の物件は、下は1万円代からあり、2万円代の物件もいくつかありました。

明らかに過去の契約済み物件を貼り出しているとしか思えませんでしたが、"ダメもと" で話を聞いてみることにしました。

店内に入ると、店主らしきお爺さんと目が合いました。

70代ぐらいの柔和な表情の男性。
普段着なのか、ニットのベストが印象的でした。

早速、表の貼り紙について尋ねたところ「あれは古い情報だよ」との返答。

安い物件を探している旨を伝えると「昔は苦学生を対象に下宿先を紹介していたため、何件か紹介できる」とのこと。

改めて事情を説明すると、該当する物件の大家さんに連絡を取ってくれました。

電話でのやりとりを待つこと数分。
1部屋開いており、大家さんがこれから会ってくれるとのことでした。

東京に不慣れだと察したのか、目的の物件までの道順をメモに書いて渡してくれました。

アパートの大家さんへ直談判

先ほどの駅から1駅進んだ場所にある物件。

・家賃 25000円 雑費 2000円

・4畳半一間/風呂なし/トイレ共同

・最寄り駅まで徒歩10分

希望する条件と一致しているため、内見前からこの物件に決めていました。

渡されたメモを頼りに大家さん宅へ。

2階建て木造アパートのイメージ画像

迎えてくれたのは60代ぐらいの女性。
娘と2人暮らしで敷地奥にあるアパートを管理しているとのこと。

これまでの経緯や私の身元を説明し、空き部屋のあるアパートへ。

2階建ての木造アパート。1階に7部屋、2階に6部屋ある年季の入った建物。

1階の東側に面する空き部屋と共同で使用するトイレを見せてもらいました。

「気に入りました、ぜひ借して下さい」と伝えたところ、以下のやりとりに。

Q:うちは学生にしか貸さない。学生ですか?
A:4月から入学予定。入学したら証明するものをお見せします。

Q:(沖縄の人は)友人を集めて酒を飲んで騒ぐでしょう?
A:周りの迷惑になるため、しません。

Q:(沖縄の人は)油っぽい料理をよく作るんでしょう?
A:自炊はしますが、揚げ物は作りません。

このやりとりの後、大家さんから入居の許可をいただきました。

それから「宿泊費用のこともあるため、なるべく早く入居したい」と伝えたところ「改装するため2日後であれば入居できる」との返答を得ました。

見知らぬ土地で賃貸物件を探し、たった1日目で希望条件に合った部屋が見つかる。
1週間ほどの日数は覚悟していたため、"幸運" と一言では片づけられない展開でした。

東京に拠点を構える

大家さんと別れての2日間。事前に調べていた安宿に泊まりながら所用を片づけるため、不慣れな都内を転々としていました。

2002年2月4日。
都内に住み家を確保し、無事 "東京暮らし" を実現させました。

畳間のイメージ画像

入居初日。
新しい畳表の匂いが4畳半の空間に立ち込める中、家財道具が1つもない部屋で寝袋に包まり、寒さに耐えながら過ごしました。
これからの生活を考え、興奮して一睡もできなかったことを覚えています。

ちなみに、契約前に住むことができたのは大家さんのご厚意です。

その後、契約に必要な書類一式を受け取り、書面の保証人欄を埋めるため一度実家へ書類を郵送。
戻ってきた書類に私も署名・捺印を行い、契約が成立しました。

実家を出る前に準備していた必要最低限の荷物を送ってもらい、冷蔵庫やテレビといった電化製品も近所の家電量販店で買い揃え、新生活がスタートしました。

それから17年。
1度も引っ越すことなく、この部屋・この地域で過ごしていくことになります。

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